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関われる人と関われない人がくっきりしている今。どちらかが正しくてどちらかが間違っているのではなく・・・

こんにちは。販促物つくる人、増田ゆきです。

ベースは毎日幸せを感じながら過ごしていますが、それでもたまにやってくる落ち込んだり自信をなくしたりする期間。

少し前に久しぶりに、胸がぎゅっと苦しくなることがいくつかありました。

今回のもろもろで学んだこと、自分の課題。何か拾ってもらえることがあったらいいなと思って書きます。

関われる人と関われない人

まず、最近の流れで想うこと。
「関われる人と関われない人とが、ますますくっきりしている」ということ。

私はもうすでに、合う人としか繋がっていないと思っていたのですが、まだまだ生ぬるかったということを感じました。

というのも、3人ほど離れることになった方がいまして。

自分から離れた人
きっかけを私が投下してしまって(笑)離れていった人
自然と離れることになった人

と様々なパターンがあるのですが、この短期間に複数人の人と離れることとなったこと。偶然じゃないなって感じています。

今、個々の世界がくっきりしている分、「合う」or「合わない」もおのずとクッキリしてきていて。違和感に敏感になっているのだと思います。お互いが。そして気がついていないとしても無意識の中で。

対面時に感じるものと、表で発信されているものが一致しない

私ねその中の一つの別れで、こんな気持ちが湧いてきたものがありました。

出会った時から、どうしても「なんだか受け入れにくい人だなぁ」という感情があって。
価値観のズレみたいなものが最初の段階から、大きめにありました。

それでもお相手の方から近づいてきてくれるので、接点はその後もあったのですが。

その方が、表で発信されているのを見ても自分の中に違和感があるのです。
一致しないのです。対面して知っているその人の性質と、表で発信されている内容や振る舞いとが。

戸惑いました。

この一致のしない感じ、私だけ?
たくさんの方に指示されているようだし、私の感覚がおかしいのかな?と。
※この「たくさんの方に指示されているようだし・・・」は厄介。

そうなったとき行き着く思考パターンて、↓これのどちらかになりがちだと思うのです。 ・「相手の方を批判する。否定する。」に走る。
・または自分がおかしいと、「自分よりたくさんの人の指示」を正解にする。

実際、私どちらにも寄りました。
でも。その方が間違っている!と思うのも、なんだかスッキリしなかったし、
だからといって自分が感じているものを正そうとするのも違いました。

住む世界が違うから理解できる範疇を超えている。ただそれだけ。

そして、結果的に肚に落としたのは

「住む世界が違うんだ。どちらかが正しくて、もう片方は間違っている、ではなく、もうそもそも住む世界が違うんだ。
交わることがないんだ。だから、理解できる範疇にないんだ。ただそれだけのこと。」

という考え方。

これからの生き方。
今って過去にないほどの「自由な時代」だと言われているようです。
自由に生き方を選択できる時代。

考え方もバリエーション豊か。

そんな時代で、もうちょっとズレると世界が違うんです。

同じ世界には住んでいないんですね。

こっちが正しい、あっちが間違ってる。
あっちが正しい、こっちが間違ってる。

という次元でなく、何を選んでるかだけ。

これでストンと解決しました。

この数ヶ月の間で、これまでになく「この人と居たくない」と思った人がどんどん離れていっています。

それは私視点での言い方であって。

お相手の方にとっても、私は必要なく、これから居る世界が違うというだけのこと。

人間関係の入れ替わりを感じています。
お別れって、そうはいってもやっぱりちょぴっとでも悲しくなったり、あぁかなこうかなって思考を巡らせますが、よく思い出して。

空いたところには入ってくる。

同じ人ではないけれど、同じ役割をする人が。
もう不要な役割ならば、その他の役割の人が。

安心して進もう。

不要な思いグセ「私は怒られる」

私ね、体の中が一旦ぐじゃぐじゃって溶けたの、先日。
よく知らないけど、さなぎが成長する過程でどろーんと溶けてしまうようなイメージ。

自信が無くなったのです。
自分が感じていることは傲慢で、みんな私から離れちゃってひとりぼっちになっちゃうような感じが出てきてしまって。

もっとこうできたんじゃないか、とか自分を責め始めたり。
高飛車な考え方をいつのまにかしていたんじゃないか、って怖くなったり。

そうこうしているうちに気がつきました。私の不要な思いグセ。

「私は怒られちゃうんだ。責められちゃうんだ。」

はっきりと気がつかなかったのですが、思い返せばこれは子供の頃からずっと持っていました。

お仕事をする上でもこの思いグセのせいで、心が必要以上に苦しくなることがあります。心当たりありありです。

でも、やっと言語化できるくらいに「いらない思いグセを持ってる」と気がつけたので、ここから変わっていくでしょう。
同じパターンがきた時は、「これは私のいらない思いグセ」って思えば切り替えられるもんね。

起こる出来事と自分の選択を信頼

でね、最後にもうひとつ。

今までの私はこうゆう孤独に陥った時。ひとりで解決ができずに、誰かに同意を求めるアクションをとっていました。
「私間違ってないよね?」みたいなね。

それはそれでいいし、私これからもすることあると思うんだけど、それでも今回、違う感覚を味わえて。

さっきの、どろどろのぐじゃぐじゃになりつつも、安心してる自分が側にいて。
「あっこれは次の私になるための過程だな」って心の底から思えた。

もし、今大切に思っている人が離れてしまってひとりぼっちになったとしても、それは一時的なもので、その空いたスペースには次どんな人との繋がりができるんだろうと思ったらワクワクした。

そうしたら、孤独だし不安だしぎゅって苦しかったけれど、力を抜いてそれを冷静に感じることができ。
安心して感じることができた。

感じることは今までも出来るようにはなってたんだけど、今回は特に「安心して」感じきれた。

んー、こんな日がくるなんて、とこの時は嬉しくなりました。
成長したんだなぁ。私。

苦しい時、どうにもできずに、毎晩同じことで親に電話しまくって迷惑をかけていた私、も過去にはいました(笑)が、変わったなぁ。

起こる出来事に信頼を寄せています。
自分の選択を信頼しています。

毎日、自分を含めた全ての人にとって最善最適が起こっていると思えています。

先日、お友達が「ゆきさん、なんでそんな行動ができるの?」と聞いてくれたのですが

「信頼してるからかな」

「何を?」

「起こる出来事を。」

嬉しいな、自分の変化が。

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この記事を書いた人

YUKIです。お仕事はフリーランスで、WEB集客する人のサポートを「デザイン制作 × SEO × ライティング」でしています。
お仕事の公式サイトはこちら→ https://poppyou.com

趣味で、ドラム。バンドやってます。

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