おはようございます。増田ユキです。
これは私が書けることだな。
私だから書けることだな。
最近、何なら私が発信できるんだろう。
私が知ってることや言えることって
もうすでにあちらこちらでいろんな人が言ってるし
むしろドンドン先に行かれてるように感じるし
ちゃんと自分の心から発信できることってなんなんだろう・・・か?
とずっと思ってたけれど。
自分の体験は
まぎれもなく自分だから言えることだもんね。
. 。・* ☆
私ね、数日前に夕飯を焼肉屋さんに食べに行った時に気がついた。
私、食べたいものを頼んでこなかったなって。
他の人はどうなのか、意外とみんなそうなのか、分からないのですが。
私はいつのまにか
食べたいものを頼むんじゃなくて
父や母が当たり前に頼んでたものを当たり前のようにチョイスしていた。
誰に向けてなのか分からないのだけれど、
「あぁそれね、スタンダードだよね」と思われるようなものを意識的に頼んでた。
「それっ!??めずらしいね」っていうのは、たぶんなんだか避けてた。
(んー無意識だったと思うけれど、今思えばこの気持ち感じられるから、やっぱり意識してたんだろうな。あぁ、それが潜在意識なのか)
これは今思えば結構な致命的思考だったわ。
焼肉屋さんでいうと
私の場合は
ナムルとか
レバーとか
海鮮盛りみたいなとか
とかは例外メニューで。
私の場合ね(笑)
周り(両親。小さい頃から影響受けてたから)にあまり頼む人がいなかったから。
周りが頼んでるものしか頼んじゃいけないと思ってた。
何が食べたい?と聞かれるまでもなく、
周りが頼んでくれたものを
食べるだけだった。
本当は
心の奥で
- タンもカルビも好きだけど
レバーも好きなんだ。食べたいな。 - 普通のサラダもいいけれど、
今日はナムルとか食べてみたいな。 - 海鮮盛りとか贅沢かな?
食べたいっていったら嫌がられるかな?
って。
わぁ、書いてて悲しくなってきた。。。。
ちなみに母が冷麺が好きだったので、冷麺は頼めた(笑)
どんな基準やねん。
これは食のことだけじゃなくって、
全部に対してこんな感じになってたな。
どこまで伝わってるか分からないけれど、
本当、
食べたいものを言えないって
外食行っても
あまり食べる楽しみがないんだよね。
今思えばだけれど。比べたらより分かる。
食べたいもの食べればいいのに、
私は一体何を誰を気にしていたんだろう。
当たり前に提供されるもの以外は望まなくなる。望めなくなる(望んじゃいけないと思って)。
何も考えなくても手にはいるもので、満足した気になっておく。(本当は違う)
これは習い事とかも同じで。
周りの人がやっていることなら、なんとなく手に届く気がしてやってみれる。
だけど、本当にやりたいアレは
触れ合う機会がなかったし
触れたところ何になるんだろう、なんて考えちゃって
見ないふりしておいてる。
食べたいもの食べられていますか?
食べたいもの食べて
この瞬間満たされよう。
食べたいもの食べて
この瞬間幸せになろう。ホッとしよう。ってよく聞くけれど。
満たされる効果はもちろんだけれど、
きっと
訓練のひとつ。
欲しいものを欲しいという。
意外と簡単に手にはいる。
勇気さえあれば。
(このくらいなら勇気もいらないくらいのことだったりするもんね(笑)私は勇気がいったけど)
手に入るんだって成功体験をする。(笑)
手に入ったら
どんな気持ちになったか感じられる。
そんで意外や意外、
自分が頼んだものを周りの人も一緒に食べてみてくれて、
「あっ!これ美味しい!!」って
賛同してくれ、新しい発見を喜んでくれたり。
当たり前を疑ってみよう。
本当に欲しいものが隠れてる、かもしれない。 あれ食べたい!!
これ食べたい!!
はちゃめちゃにオーダーしよう!!!
私、まだまだ訓練中。